生演奏が素晴らしいものであってほしい

室内楽コンクールOSAKA事務局

 恐らく私は、ベートーヴェン本人より、ベートーヴェンのシンフォニーを聞く経験を得ていると思っています。彼の耳の病気は一旦置いといたとして、19世紀に生きた作曲家は、それほど多く自分の作品の上演に立ち会えなかったみたいです。

 さらに、録音やネットの技術の進化によって、音楽は生演奏からデータに変換されるようになり、どこにいてもベートーヴェンの音楽を楽しめることが可能になりました。ベートーヴェンだけではありません。世界中のありとあらゆる音楽に触れることができるし、すでに亡くなった巨匠の演奏を楽しむ事も簡単になりました。

 だからと言って、生演奏の価値が下がることはないと考えております。

 昔、レコードが全盛期の頃、デジタルデータで音楽を再生する技術が出始めた時に、生演奏をする演奏家の仕事がなくなると危惧されたみたいです。

 CDはオーケストラの活動を奪ってしまうと真剣に悩まれた方も多くおられるみたいですが、今ではオーケストラのコンサート会場で、そのオーケストラが録音したCDが売られているのは、周知の通りです。意外とそんなものです。

 そして、ネットが進化して、音楽は個人のスマホの中に入っていて、イヤホンを通して聞くのが一般的になりました。私の場合も音楽を聴くという作業のそのほとんどが、スマホからの音楽になっています。家にはCDもレコードもありませんし、それらを聞くための機械すらありません。

 コロナを機に一気に変化した音楽の視聴環境ですが、クラシック音楽の演奏者は、その変化を受け入れなければなりません。

 もちろん、それでも、生演奏が素晴らしいと思い込むのは勝手ですが、現実は大きく変化しています。

 先日、フランスの超有名なオーケストラの演奏を名古屋で聞いてきました。本当に素晴らしい演奏でしたが、コンサートの後半は、さすがに疲れてきたのか、音量も小さくなり、遠くにいるような感じさえしました。まるで、動画の解像度が落ちていくように、次第にボヤけた演奏となってしまいました。

 私のようなデジタル時代の聴衆は、音は全てクリアに聞いています。ハイレゾ録音を聴くとよくわかるのですが、全ての楽器がクリアに聴こえてきます。ところが、実際のコンサート会場に行くと、演奏者の音がどうしても、もやもやして聴こえにくい現象が起きている事に気が付くと思います。

 明らかに音の明瞭度が低いという現象です。

 録音された音が、現実のコンサートよりクリアに聴こえていると多くの人が認識したら、もしかしたら今度こそ、誰もコンサートに来なくなるかも知れない。多くの人が同様に危惧していると思いますが、ヨーロッパの先進的なオーケストラでは、どんどんクリアな音に進化していると、感じている人は、まだこの国では少数派かも知れません。

 そうです。これからの時代、音を徹底的にクリアに磨き上げる必要があるという結論が出ています。しかも、全ての音が聞こえれば正解ということではありません。最適なバランスであるということにはならないからです。

 つまり、理想的に音が聞こえるようにクリアでなければなりません。これがさらに難しい。

 さらに、それだけでは不十分なんです。

 私は、クリアな音と同時に、響きのある音も求めたいからです。

 「クリアな音」と「響きのある音」というのは、多くの場合、両立しません。しかも、私はその二つを高いレベルで両立したいと願っています。それこそが、これから生き残れる演奏家のマストなスキルだと認識しています。

2022.11.18 室内楽コンクールOSAKA事務局

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